ビンテージカメラと称される歴史あるカメラを中心に紹介します。
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ドイツのカメラメーカーリンホフ社(Linhof)の4×5インチ大型カメラ。ファインダー付き。
新品同様の美しい輝きを保っている。
アメリカを代表するカメラメーカー、グラフレックス社(Graflex Inc., )の報道機関向けの大型カメラ。報道カメラマン憧れのカメラだったようだ。後に酒井特殊カメラ製作所にトヨ・スーパーグラフィックとして引き継がれた。
ドイツのカメラメーカー、リンホフのマスターテヒキカ。高級感ある作りと優れた操作性を兼ね合わせていたリンホフ社の最高級クラスカメラ。ファインダー、グリップ付き。使用説明書もしっかり残っている。
120フィルム(ブローニー)用カメラ。報道記者に好まれて使用されていたようだ。操作性に優れた135フィルム(35mm版)カメラに取って代わられてしまった。
135&150コンバージョンレンズ付き。マーシャル光学が、1966年に発売した6x9cm判の報道記者用カメラ。シャッターは当時のカメラに多いセイコー社製。6×9cm版という中型のフィルムカメラ。
1958年(昭和33年) 警察鑑識用カメラとして駒村商会で設計されたカメラ。一般には市販されなかった大変貴重なカメラ。レンズはマミヤ製,シャッターはセイコー社製である。フィルムパック付き。
アメリカ、グラフレックス社製。35mm版であるニコンFにその座を奪われるまで報道記者の愛用の大型カメラであった。120用ロールホルダー付き。
アメリカ,グラフレックス社製。多くの報道カメラマンに愛用され、フィルムホルダーは世界共通の規格となった。
アメリカ,グラフレックウ社製。他のカメラ同様に報道関係で活躍した。リンホフカメラの様な高級感はないが,使い勝手の良さで愛用する記者が多かったようだ。
右部についている KALART FOCSPOTは夜間に距離計を合わせるための二重増合致距離計。
接眼部に電球をおきその光を二つの窓から照射し,その光の点を重ねて距離をあわせる。
トヨ・スーパーグラフィックはアメリカ,グラフレックスがスーパースピードグラフィックの製造を中止した後、日本の酒井特殊カメラ製造が引き継いで製造したカメラ。
フジノンW150mm,CMフジノンW250mm付。国内の中・大判カメラメーカーとして有名な駒村商会の携帯性を重視したカメラ。4×5版の金属製の大型だが軽量なフィールドカメラ。
ハッセルブラッド(Hasselblad) はスウェーデンのカメラメーカー。 1000Fは6×6cm版の大判カメラ。この機はビューファインダー付き。1952年に製造開始された最高シャッタースピード1/1000秒のフォーカルプレーン機。
軍用のカメラを作っていたスウェーデン人ヴィクター・ハッセルブラッド博士が、民生用に作ったカメラがハッセルブラッド機。500Cは、その色あせないデザインのため,今でも憧れのカメラである。
500Cを元に、さまざまな改良が施された。1970年に発売された500C/Mには、露出計が内蔵のプリズムビューファインダーが装着され、交換可能なフォーカシングスクリーンも装備された。
500ELXの「X」はストロボのX接点の意味。ハッセルブラッドでは初となる、ストロボのTTL自動調光機能が組み込まれた。また、ミラーを大型に変えたことで望遠レンズ使用時のミラー切れをなくした。
1988年に発売されたフルマニュアル機。ミノルタによってデザインされたアキュートマットスクリーンが採用され,明るさは1段ほど明るくなった。
TTLストロボ機能を内蔵したなどの改良が付されている。
1967年8月からマミヤ光機で製造された6×9cm判大判カメラ。それまでのマミヤ プレス機をモデルチェンジした機種がこのスーパー23である。ちなみに社名は創業者間宮精一社長の間宮からとった。
1960年代に製造されたマミヤの6×9大判カメラ。レンズやフィルムパックを交換できる便利な機種。35mmフィルム機が主流となってきた時期であり,大判カメラは集合写真撮影などに使われていた。
トプコン(日本製)のプレス用カメラ。あおり撮影など特殊な撮影ができるほか,二重像合致式距離計で多くのレンズでピント合わせができる。アクセサリーの多さも人気の理由。
645フォーマット(6cm×4.5cm)の中判カメラ。ブローニーフィルムで35mmフィルムと同じ縦横比率4:3の写真が撮れる。ペンタックスやゼンザブロニカなどと人気を分け合った。
1976年~2004年まで長い間製造された人気の645中判カメラ。数多くのアクセサリーを有していた。「高画質映像と機動性の共存・イマジネーションの翼」がキャッチフレーズであった。
マキナはドイツのプラウベル社が製造したプレスカメラで有名。日本のドイ・インターナショナル・グループが、その技術をひきついで1979年に製造を始めたカメラがマキナ67。Wは広角(ワイド)レンズ装着の印。
マミヤがスタジオカメラマンをターゲットとして製作した大型の67判カメラ。本カメラはハードケースに様々なアクセサリーと共に大切に保管されている。
ライカはドイツを代表するカメラメーカー。このシリーズは1957年までに18万台も造られたカメラで、多くのバリエーションがある。本機は前期型の「ブラックシンクロ」と呼ばれるもの。ちなみにFはフラッシュ機構の組み込みを意味する。
カメラファンなら誰でもが知る超人気カメラのライカM3。1954年に発売されたライカM3は、1966年までに13年間で約22万台生産された。本M3には今でも元気に動いている専用の露出計が装備されている。
コンタックスⅢaは1950年から生産された。本機はその1950年製。このⅢ型は電気式露出計を内蔵している。コンタックスは独特の描写性があると言われ,日本のカメラマンに人気を博した。
ドイツ,ローライ社製。二眼レフカメラといえばローライフレックス。愛好家だけでなく,今からフィルムカメラを始めようとする人に人気がある。ちなみに二眼レフの上レンズはファインダー用,下レンズは撮影用である。
1950年に創立されたアイレス写真機製作所(前身はヤルー光学)の二眼レフカメラ。
レンズはニコン製のニッコールレンズを採用している。
ドイツの名門カメラメーカー,ローライ社のカメラ。ローライコードはローライフレックスの廉価版。6×6(ロクロク)判の正方形の写真は今でも多くのカメラマンに利用されている。
本機は新品未使用品である。
1960年ローライ社から発売。ニ眼レフカメラでは初めてセレロン式の自動露出計が搭載され、ピントあわせだけで撮影ができる。光量を測定するガラス窓が前面上部についている。
1949年の新中国建国から20周年を記念し、ドイツの最高級「ライカM3」に比肩するカメラを製造すべし旨の毛沢東夫人江青の指示を受けてカメラ製造が開始された。(ウィキペディアから)
1938年、太平洋戦争前のカメラ。何と森製作所が製造した日本製のカメラ。海外のカメラを真似て製作されたカメラのようだ。本機も実に年季が入っており,今まで生き抜いてきた歴史の長さを感じる。
このカメラは他の二眼レフカメラと比較すると二回りほど小さい。フィルムもブローニーは使えず4×4cmの特殊なベスト判(127判)と呼ばれるフィルムが必要となる。
Canon・キヤノネット
レンズ SE45mm
創業以来、高級35mmカメラを手掛けて来たキヤノンが、レンズシャッター式の中級35mmカメラの分野に参入した最初の機種。開発当初の試作機は、オーソドックスな形の35mmレンズシャッターカメラであった。
別に試作開発が進んでいたEE機構の完成を待って、シャッターを押せば綺麗な写真が写せる、完全自動露出のシャッタースピード優先式EEへと方向を転換した。(参考:キヤノンカメラミュージアム)
フジカ GE
レンズ フジノン38mm
フジカはカメラ初心者や家族で使用することを前提として作製されたカメラ。誰でもきれいな写真が撮れるように電子シャッターEEプログラムを搭載している。
イーストマンコダック JIFFY KODAK Six-16
Kodak Jiffyは、米国ニューヨーク州ロチェスターのEastman Kodak Co. Ltd.によって製造され、1937年から48年にかけて製造された中判フォールディングカメラシリーズ。
この機種はSix 16という名前の616フィルム用である。初のシリーズはアールデコ塗装のフロントプレートで作られたが、シリーズIIのフロントプレートは黒いレザーレットで覆われていた。
Great Wall (長城)
中国製の詳細不明なカメラ。コピーカメラのようである。
Mercury UNIVEX
トリコール35mmレンズ
1945年にアメリカのUniversal Camera Corporationで製作されたハーフ版カメラ。ハーフ版とは通常の35mmフィルムに2カットの撮影をするシステム。よってファインダーが縦長になっている。
回転する円盤をシャッターとするロータリーシャッター機能のために上部が円形になっている。
オールド No.2 もご覧ください。